信心

今時、ふと気になった情報は親指一本ですぐに探し当てられる。

トレンドや炎上ネタは日々目紛しく飛び交うし

SNSでは身内ネタから広告までありとあらゆる情報が溢れかえっている。

正直なところ、目は疲れるし耳障りな雑音に嫌気がさしてくることもある。

 

確かに今はどんな情報も手軽に手に入るようになった、かもしれない。

いつでもたくさんの情報に囲まれている、かもしれない。

けれど実のところそれらのうちのどれほどが

自身にとって本当に意味のあるものだろうか。

 

最近つくづく思うが、まるで手品のネタばらしのようだなと感じる。

何をするにしても情報ソースと広告と経済効果がつきまとって、

“何かよくわからないが妙に興味をそそるもの”というものを久しく見ていない気がする。

 

情報をいくら掻き集めても、それを活用する知恵が無ければ

それは単なる豆知識か雑学に留まる。

いくら消費を繰り返しても

それだけでは文字通り単なる消費行動でしかなくて

何かを創り出すことには結びつかない。

 

創造と消費はかなり遠い位置にあると思う。

創造や可能性を推し進めるには

信心に近いものや妄信的な熱量こそ必要で、

“よくわからない何か”を追い求める欲求や情動に

身を任せた方がいいこともきっとある。

 

自ら進んで、その目で、耳で、肌で、

一身で感じたものを形にすることについて考えたいと思う。

やたらと色んなものが目に映りすぎる今だからこそ。